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オープンソースのおもしろいところ

どこがすごい?

オープンソースですよ、オープンソース。オープンソースといえばあの巨人 IBMですら屈するぐらいすごいんですよ。とにかく今はオープンソースなん ですよ。無料だし。

ちょっとまった。
オープンソースであることはイコール無料ということではありません。 逆に無料でもオープンでないコードの方が世の中には多く存在しています。

オープンソースを理解し、正しく扱えることによってプログラム以外の ジャンルの物にもオープンワールドを適用できるのではないかと考え、 オープンソースの特色を見ていこうと思います。(*1)

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(*1)私自身正しく理解しているかどうか怪しいので間違いがありましたら ご指摘願えると幸いです。

オープンソースの定義

ここでは記述を簡易にするために、Freeware界における様々なオープン コードライセンスを総称して「オープンソース」と記述させていただきます。
GPL, MIT/X license, BSD license 等々色々なライセンスの持つ基本的で 中間的な事柄について書く様努めますがうっかり特定のライセンスに 限定されていることを書いてしまうかもしれません。

ライセンス形態については「Free Software Licensing」(*2) という文章に簡潔にまとめられておりますので興味のある方はそちらを どうぞ。

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(*2) Mark Koek " Free Software Licensing"
日本語訳 本堂氏

オープンソースの特徴点

オープンソースが意図し、定義しているものは「自由」です。「フリー」 と書いてもそれは「無料」という意味ではなく「自由」という意味です。
オープンソースライセンスのフリーウェアは利用者が「自由」に使える ことを保証します。

オープンソースコードを創作物であり著作物という観点から見た場合、 他の著作物には無い物凄く大きな特徴があります。それは、 「改変の自由と改変後の再配布」を認めているところです。
逆にこれがオープンソースの骨子でもあり、皆で作り上げていく事を可能に している権利部分でしょう。
自作の文章、絵画もしくは芸術的彫像といったものに対し「勝手に改造 したものを勝手に配っても良いよ」と言っている人はあまり見たことが ありません。大抵の場合は著作物に対し勝手に改変をくわえる事は 作者の意図せぬ範疇であり、平たくいうと「気分の良くないもの」である 場合が多いのではないでしょうか。

自分が手塩にかけ制作したものをすべて公開し、あまつさえ他人が 改変する事を喜んで許可する。プログラマーをやっているとわりと当たり 前の光景ですが、これ自体が特異なものではないでしょうか。
私はそこにオープンソース以前にプログラムというものの特異性があるのでは ないかと思います。

プログラムは芸術的で文学的なものでしょうか?
普段プログラムを書いたり読んだりしていると、それが文学などと同じく 芸術的な作品である様に思えます。私もそう思っています。
ですが、人々がプログラムを評価する場合、ソースコードを見てそのソース の美しさに賛辞の言葉を浴びせかけるという場面はほぼ皆無に近いと思います。
ほとんどの場合はそのプログラムの「実行結果」をみて評価するのでは ないでしょうか。この「結果」が評価され「そのもの」はあまり注視されない というあたりにオープンソースという権利を受け入れる素地があったのでは ないでしょうか。
かたや、絵画や文学その他芸術的創造物は創造された「そのもの」に対しての 評価になります。それゆえ制作者でないと評価に値するものは制作・創造 できませんし、その芸術的オブジェクトに対し手を加えることは多くの場合 制作者の喜ばない結果を生むのだと思います。

コンピュータープログラムというものは何か結果を期待して制作されます。 その「結果」を求めるための「手法」は幾通りも存在するものです。
文学作品も「ストーリー」を求めるためだけだったら「表現手法」や「文体」 はどうでも良いような気もしますが、「表現手法」や「文体」は実際読者が 目にするものなのでやはりそれらも評価の対象となりますし、多くの場合は 「ストーリー」より「表現手法」の方が求められたりします。
かたや、プログラムは「結果」がほとんどです。どんなに汚くて危なげな コードでも「すばらしい働き」をしてくれれば、それはすばらしいプログラム とされます。(*3)
つまり、誰がそれを書こうとも「すばらしい働き」をしてくれれば良いわけで。 自分以外の誰かが改変して「より良い働き」をするプログラムになることは コード自体の権利より喜ばしいことなんじゃないかと。

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(*3)オープンソース界においてはソースを読む人も多いのでコード作法は ある程度尊重されますが。

「ねえ、こんなの作ったんだよ、みてみて」

これを読んでいる方は、趣味でプログラムを組む楽しさを知っている方が 多いと思いますし、今更それについて語る必要も無いのではないでしょうか。
プログラムを組むことは素晴らしいし楽しい、そしてそれを自由に扱える オープンソースはそれを増長させる素晴らしい概念だと語るのに異論は ありません。ですがこれだけでは不十分で、決定的に重要な要素があります。 それは「他の人に見せ」そして「使ってもらう」事です。使ってもらった 感想が帰ってきたりしたらより完璧で最高のものになるでしょう。

この「人に見せて」「楽しんでもらって」「あわよくばその賛辞を聞きたい」 というのはかなり根本的な欲求だと思います。
オープンソースのすべてがそれだとは言いませんし本道でもないのですが、 割と重要な隠れた要素なんではないかと思います。
これほどストレートでないにせよ、大体同じような事が 「ノウアスフィアの開墾」(*4)の中でも触れられています。

この公開の楽しみと利用者とのコミュニケーションというのはどのような 創造物(製作物)にも当てはまるものですよね?
ちょいと WEB をサーフィンするまでもなく、個人の創作物を公開している サイトにぶつかりますし日頃そういったサイトを楽しんで眺めています。 かわいい娘絵だけでなく、芸術的な絵画、思わずのめり込むショート小節や WEB日記。あらゆるジャンルで自作の逸品をさあ見てくださいと惜し気もなく 掲載しています。

どのような創作物でも「作る楽しみ」「見せる喜び」は持ち合わせています。 ということはオープンソースと同じ世界に引き込める可能性もあるのでは ない無いでしょうか。
一般的な芸術作品がオープンソースと同様の「フリー」となり推奨される ためには唯一と言っても良い差異である「改変してより良くなったことを 喜べる環境」を持ち込めるか否かではないでしょうか。 オープンソースという歴史の浅い権利形態を素地に従来のメディアに新しい 楽しみと幸せを持ち込めるかもしれないのです。

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(*4) Eric S. Raymond " Homesteading the Noosphere"
日本語訳 山形浩生


Aug.17.2000 れろれろ@ふみ(K.Kunikane)