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エンターテイメントにおけるオープンプロジェクト

命題

第三回コラムでは、ゲームにおけるオープンワールドの典型は二次創作の世界 ではないかと提起しました。
では一次創作をオープン化するとしたらどこまでできるものでしょうか。

この命題は第四回コラムで少々触れているように、ゲームやエンターテイメント コンテンツは原則としてオープンコンテンツになりにくい(もしくはならない) という前提を踏まえています。ですが本当にそうなのかな、ということで どこまでならオープン化できるかが今回のお題です。

パーツの再利用

オープンソースやフリーウェアが持つメリットの一つとしてコードの再利用や 複数人による作業があると思います。また、他人のコードを参考に学習したり ライブラリーという形で利用したりと、様々な利用形態とメリットが存在しま す。
いま、このメリットの一つを「ソースコードの再利用」として注目し、 その形態を他のコンテンツ(主にエンターテイメント系)に応用することは 本当に出来ないのかということを今一つ考えてみたいと思います。

これまでにゲームゲームと連呼してきましたけれども、Rogue や Nethack の 様にソースが公開されており、なおかつ(ものすごく)面白いオープンソース 形態のゲームタイトルというのも存在します。むろんこれらタイトルを無視 している訳ではありませんが、今ここで「エンターテイメントコンテンツ」と 定義しているものはそれらとは異なります。
ここで「ゲーム」と定義しているのはコンシューマーゲーム機や PC用の 画面が派手もしくは綺麗で、サウンドもガンガンに入っている市販ゲームの 事を指していると思ってください。
要するにここで「ゲーム」や「エンターテイメントコンテンツ」と呼んでいる ものをオープン化するということは「画像」と「音声」をオープン化すると いうことに近似されます。

Rogue 系がゲームコンテンツでありながらオープンソース形式であり得ている ことの理由については第四回コラムを御参照ください。

なぜ使い回せないか

エンターテイメントコンテンツに期待されることの中心として「画像」と 「音声」そして「文章」であるとします。これらとプログラムが組み合わさり 一つの表現を持ったものが「エンターテイメントコンテンツ」であり、 その形態の最たるものが「ゲーム」であると定義します。
故に「ゲーム」をオープンコンテンツ化するためにはプログラムだけでなく 画像や音声や文書、その他全てをオープン化出来なくてはなりません。
この「プログラムと同等に扱う」という事の難しさが現在日本で主流の形態の ゲームがそのままの形でオープンソース界に現れない問題点になっていると 考えます。取り敢えずここでは画像に論点を絞り検討してきたいと思います。 ゲームの売り上げのを決定する理由の二番目はこの画像の良し悪しにかかって いると言っても良いですから。(*1)

プログラムにおけるオープンソース化については第二回コラムにて考察して きました。それと全く同じ形態で画像は扱えないのでしょうか?
プログラムと比べて画像が含んでいる問題は以下の点だと思います

  1. 絵そのものが評価されること
  2. 誰が描いたかが重要な価値観を持つこと
  3. 同じ絵(絵柄)を他者が描くのが困難なこと
  4. 作者が権利を誇示すること
上の3つは「他者の製作物に修正を当てた物を再配布する」というオープン化に おいて問題となります。不都合部分に手を入れるにも同じような絵は描きにくい わけですし、もしそっくりに似せたまま修正を加えたとしても元の絵とは違う わけですから価値観が継続しているかどうかは難しいと思います。
アニメーション業界においては「キャラクター原案」「キャラクターデザイン」 「作画監督」「原画」「動画」「色指定」「彩色」と様々な人たちが働いて おり、多人数で一つの映像コンテンツを描いています。原画、動画、彩色に おいては沢山の人間が関与していますので、多人数で絵をシェアすることは 不可能ではないと思われます。ただし、やはり各原画担当が描く絵にはばらつき がありますので、どうしても一人の手によって描き直して統一化してやらな ければなりません。それが作画監督の仕事です。
そうして多人数で造りあげた映像を公開した際真っ先に評価されるのは キャラクター原案とキャラクターデザインでしょう。ちょっと通になると 作画監督の名前が気になってきますが、かなりマニアックな視点となります。
こうして考えるとアニメーション業界はソフトウェアプロジェクトに近い 形態の様な気がします。ただ、オープンソース界では原画、動画、彩色に あたる部分を「プログラミングが楽しくてしょうがない」というボランティア が支えています。これと同じ感覚を持ち込めないとなりません。

最後の権利の主張は案外大きな問題なのかもしれません。
これは単にいままでそういうものだったからという形で定着しているから だと思います。オープンコンテンツに理解を示し、そこに楽しさを見いだす 事ができる絵描きが出てくれば事態は前進するかもしれません。

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(*1) 一番目はネームバリュー :-J

使い回し以外の形でのオープン化

画像の直接的な加工再配布といった問題点を踏まえ、それ以外の形式での オープン化については第三回コラムにて述べました。二次創作という形式を 中心に語りましたが、もうちょっと大局にみて「シェアドワールド」という 形ならば十分にオープンコンテンツとして扱えるだろうという話でした。 ですが、全くのオリジナルの段階からシェアドワールド(世界観)を構築し 提供することはあまり成功はしないでしょう。なぜならあまり面白くない からです。
同人界とかでは題材となるコンテンツが先に存在します。そしてそれについて みんなで語り合うという形で設定・キャラクター・世界を share するものです。
これがまったくのオリジナルだった場合、どんなに面白い物であっても スタート時は無名です、その時点での人気は無いでしょう。オリジナルで それなりの人気を持っているとしたらそれは作家のネームバリューによる ところが大きいのではないかと思います。
もちろん、オリジナルコンテンツでもそれが面白ければ口コミで広がって 行くかもしれません(*2)。

そういった世界観とか、アイディア持ち寄りといった形態は十分にオープンで あり得ますし、みんなで参加している手ごたえは十分だと思います。
ゲームに置き換えると、絵そのものや音楽そのものはオープンにしにくいかも 知れませんが、プロットや各種設定はオープン化可能であるのではないで しょうか。

また、そういった世界設定は「次回作に引き継ぎ」とか出来ますよね。 ゲームでも「前作の5年後が舞台」とかで世界を引き継いでいる続編を良く 見掛けます。

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(*2) ただし良いものが必ず売れるわけではありません

オープンゲーム製作プロジェクト

話はちょっと戻りますが、先ほどのアニメーション業界のお話。
あの話の中にあった「原画、動画」という担当部位をゲーム製作に投影して みて、そのポジションにあたる方々が積極的に(楽しんで)参加してオープンな ゲーム作りをするという選択肢は無い物でしょうか?
例えばアドベンチャー系ゲームを作るとして、背景を描いてくれる人、 色を塗ってくれる人、画像を加工してくれる人、原画を担当してくれる人…。 そういった人々の参加が活発になれば可能性はありますね。
むろん基本的にはボランティア作業に近くなりますから金銭的報酬以外の ものに価値観を見いだせないと楽しく参加してもらえないかもしれません。

でも案外多いんじゃないでしょうかねえ、「ゲームを作ってみたい、将来 ゲームクリエータになるためにスキルを磨きたい、でも絵(文)しかとりえが なくて」とかいって沈んでいる方々。

オープンコンテンツ化したゲームは本当に面白いのか

上記で検討してきた事柄を最大限に活かしてオープン化できるところは オープン化し、みんなで一つの大きなタイトルを作ったとします。
ところでそれってゲームとして本当に面白いんでしょうか?
製作に関わった人間はまあ大体内容を知っていますから自分でプレイしても 驚きとかは無いでしょうね。

アドベンチャーゲームシステム開発の話になると良く話題に上るのが 「シナリオデータのセキュア化」だったりします。ベタのテキストとか だとプレイヤーが覗いてしまうので何らかしらのスクランブルをかける という事なんですが、けどこれって覗かれて困るものでしょうかね?
ゲームというのはプログラム、画像、音声、文章、その他が一体となって 始めてコンテンツとしての魅力を持ちます。ほとんどのプレイヤーはその 事を理解していますからプレイするときはまず一通り素の状態なのでは ないでしょうか。ようするに見ない人は見ないわけで、覗くような人は ほっておいても良いんじゃないんでしょうかねえ。

アクションゲーム(パズル含む)の場合作り手も楽しめるという可能性は ありますが、それ以外の場合は制作者はそんなに楽しめないかもしれません。 そのかわり「作る楽しさ」「遊んで貰う楽しさ」というものがあります。
その喜びというのもまた格別なものなんですよ。


Dec.20.2000 れろれろ@ふみ(K.Kunikane)