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ゲームはなんでできている?

女の子はお砂糖やスパイスといったすてきな物でできていますが、 コンピューターゲームはなんでできているのでしょうか。

細かいところまで見ていくとすべてがデジタルビットデータになって しまうでしょう。おおよそすべての構成がコンピューターによって 作られていますが、それら全てがプログラムではありません。
むしろプログラムはほんの一部分にすぎない場合がほとんどです。

ゲームという名の著作物

コンピューターゲームが著作物であり、日本国内の裁判で初めて認め られたのは昭和59年の「パックマン事件判決」でした。
ここにきて初めてゲームというコンテンツが一著作物であり、著作者の 元権利を有することが認められたものです。
私はあまり法関連に詳しくないので端折りますが、ポイントとして この判決でコンピューターゲームは映画の著作物と同等の扱いを受け、 それを元に著作権を認められました。
ここにおける「映画の著作物」とは視聴覚効果を持ち、美術的音楽的 であるというもので、それら影像および音声がコンピューターによって 再生されていても十二分に「映画的」であると認められたものです。

逆に被告側の主張は、ゲームはルール付けされたものであり影像も そのコマにすぎず、それは将棋やチェスのようなものであり、 本質的に代わるものではない、といったものでこれも十分に興味深い ところです。
被告側のゲームとルールという主張はプログラム的概念で、原告側は その上にある芸術的価値に著作権を主張した形です。

ゲームには芸術的側面があり、創作的なものであるという事がこの 判例から読み取れます。またこれら映画の著作物はプログラムコード という著作物とは別のものであるとも記述されています。

以上文献、 夏井氏の「 コンピュータ関連判例の紹介

ゲームを作るということ

Shawn Hargreaves 氏による「オープンソースゲームをプレイする」 という文書があります。
これは、Shawn 氏がゲーム製作という舞台からオープンソース界を 眺めて、ゲーム製作業界とはこれくらい違うということを書きつづって いるものです。違いを指摘するだけでなく、ゲーム界において どこまでがオープンソース化できるものかを実に的確に指摘しています。
Shawn 氏自身商用ゲームのプログラマーであり、それゆえに実に するどく、同業者は深く頷きながら同意すること請け合いです。

その中で最も興味深いのが「ゲームは描かれるものでプログラム されるものではない」というタイトルの章です。
ようするに、ゲームの主役は絵であると。プログラムはその主役を 動かす映写機でしかないのです。

以上文献、Shawn Hargreaves " Playing the Open Source Game"
日本語訳 yomuyomu

芸術的要素を持つものとして

ゲームにおいて重要な要素はなんでしょう。
迫力ある画像?魅力的なキャラ? 感情を高める音楽?あっと驚くどんでん返しのシナリオ?
そう考えていってプログラムコードは何番目に出てくるでしょうか。

パックマン判決以降ゲームは芸術的商品として著作権を確立しました。 オープンソースな世界における秩序のみでそういった芸術部分まで カバーできるものなのでしょうか。
ひょっとしたら従来のゲームにそわない、オープンワールドならではの 芸術的表現手法とその保護方法というのもあるのかも知れません。

だれでも自由に使える映画館と映写機が用意されていても、肝心の フィルムが無いと映画を楽しむことはできません。
そして自由に扱えるフィルムというのはあまり多いものではありません。 面白そうなフィルムに限ってどっか遠いところにあるんですよね。
でも、自分で撮った映画というのも面白そうではないですか?


Aug.07.2000 れろれろ@ふみ(K.Kunikane)