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プロジェクトとその規模

命題

コラムの方と平行して掲示板の方でも幾つか意見をいただいています。
掲示板の頭の方で交された話題として、「絵とプログラムの相違点」があり 色々な意見をいただきました。
要するにプログラムにパッチを当てるように絵にパッチを当てたらそれに 価値はあるものなのか、絵をライブラリ化できるものなのかといった観点 からオープンソースの特徴を見つめてみようといったところで。

その中でごう氏(*1)の発言に
> オープンソースってのは、「一人の職人芸」から「工房」へのシフト
という文があり非常に気にいったのでこれに注視して書いてみようと思い ます。お題は「プロジェクトとその規模について」。

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(*1) http://www.denpa.org/~go/

プロジェクトの発生

プロジェクトと呼ばれる物があります。日本語に当てはめると「計画」 「くわだて」「考案」といったところですが、仕事においては作業が始まって からのこともプロジェクトと呼びますす。主に複数人で何かを企画しそれを 実行する事を指しています。
一人で作業実行することもプロジェクトと言えますが明確な計画案があって それにそっている場合でない限りはあまり呼ばれないようです。 ここでは複数人が集まって一つの作業をするというところに着目し、 それを指してプロジェクトと呼ぶことにします。

なにか作業をしていて一人で全部こなせれば問題ないのですが、 ある程度の規模になるとなにかと無理な部分が出てきます。
その一人の人には出来ないスキルを要したり、時間がかかるので分担する 必要があったり、それまでとは異なる環境が必要だったりすると作業は 進行しなくなります。そして他の人間の力が必要になり、協力を求め、 共同作業が始まります。こうしてプロジェクトはその規模を増すわけです。 もっともわかりやすい例で言うと会社であり企業であり「経営」と「雇用」 であるわけです。

オープンソースというプロジェクト形態

オープンソースというのはソースを公開していてそのソースの利用の自由が 保証されているプロジェクトを指しています。ここでソースを公開している 意図についてちょっと考えてみましょう。

取り敢えず思いつくところで以下のような項目、

  1. 自分のソースを他の人の勉強に役立てて貰う
  2. ソースを公開し自分のプログラミングの技術力をアピールする
  3. 他者が利用する事で自分のコードの名声を高める
  4. (流行りの)オープンソースに参加しているというステータスを得る
  5. 他の人が自由にカスタマイズ出来るように
  6. 自分の環境では取りきれないバグを調査して貰える様に
  7. 他者がデバッグ、改良してくれるのを期待して
前四つは直接的な利益でないし意図して成功するものでもないと思われます。 大抵の場合においては後半三つを期待しているのではないでしょうか。
まとめると「自分一人あるいは現状のプロジェクトチームだけでは手が出せない 範囲のサポートを外部の手に期待する」といったところです。 ようするにプロジェクトの拡大を期待しているのに neary で、自分の持つ スキル以外のものを求めていることになります。自分一人だけでなく、 世界中の優秀な人物に指摘参加して貰うことによりより大きくて確実な ソフトウェアを製作する。
これこそが「職人技から工房へのシフト」というごう氏の指摘であり、 オープンソースが(従来のフリーウェアに比べ)優れていると言われるところ でしょう。

作業人数が増えれば必然的にそれらをまとめるリーダーの存在が必要と なってきます。オープンソースにおいてはおおよそ「発起人=リーダー」と なっていますが、優れたリーダーというのは=発起人というわけでもないので その管理と維持が成功するとは保証されません。逆に多数の人が参加する プロジェクトに発展したオープンソースプロジェクトは優秀なリーダーが 存在しないと(おそらく)破錠します。
オープンソースといっても単にソースを公開するだけでは本来の意味を 成し得ないという一例でしょうか。

オープンソースを絵の世界に当てはめる

そういったプロジェクトと参画人数という観点において、絵や音楽の世界を 眺めてみるとプログラムの世界とほとんど変わるところはありません。
例えば漫画家。アマチュアや無名の頃は作家一人で作品を創ります。ある程度 までは一人で作業しますが人気が出て枚数をこなさなければならないように なるとアシスタントを雇い作業を分担するようになります。また、商品として 売れるものを創るために編集と打ち合わせをしますし、ネタもそこから持って きたりもします。アニメーションなんかは最初から大資本大人数で製作に 取り掛からなくてはならないので、アプリケーションソフト製作の現場に 近いかもしれません。

この漫画家におけるアシスタントの起用とかが個人ソフトからオープンソース へのシフトに近いんじゃないかと思います。幾分乱暴ではありますが。

オープンソースの元々の意味

そうして考えると、リーダーの元である程度の人数のプロジェクトが動いた 場合、通常的には名声も責任もすべてそのリーダーのものになります。
オープンソースにおいては参画したメンバーに対し「報酬」が支払われている ことは(全体のプロジェクト数に対して)極めてまれなケースだと思います。 そのかわり、参画したことに対する記録を残しなるべく名声を共有しよう というのが代表的な方針でしょう。
プロジェクトと人数という観点で考えた場合、「理想としての」 オープンソースはやはり、個人の研究〜同人での研究レベルなのだと思います。 そしてその枠を越えて一般ソフトウェアに肉薄しつつあるのでそれを賛辞 しているのが昨今のオープンソースブームなのではないでしょうか。
まあ、私の貧困な知識と情報でオープンソースの行方を語るのは大仰すぎる のでこの辺にて。

ゲーム製作のプロジェクト

それら参画人数とプロジェクトとオープンソースというものを踏まえて ゲーム製作の現場に目を向けます。
単刀直入にいってゲーム製作は個人の研究レベルではありません。 アプリケーションソフトウェアを作成するに等価です。 なぜならそれを製作するのに、プログラマー、デザイナー、コンポーザー、 シナリオライター、企画者、ディレクターと最低でもこれだけの人間が携わら なければならないからです。
もちろんそれら作業を兼業して一人(もしくは数人)で創りあげるのならば 個人的実験場の範疇で収まるかもしれませんが、全てにおいて市場のものと 同じクオリティにするのはまず無理でしょう。

逆に言ってそれだけの人手が集められれば製作することは可能だと思います。 オープンソース形態であろうが、そうでなかろうが。
個人研究の範囲で収まらないので人手を集める。後はそれら協力者に対する 「報酬」次第だと思います。下世話な様ですが重要なファクターです。 もちろん報酬は金品とは限りませんので、志が同じ者が集まればフリーウェア として完成させる事ができるわけです。

おわりに

どうも話があちこちに飛んでわかりにくくなってしまいましたが要するに なにが言いたいのかというと、 「なぜオープンソースプロジェクトからコンシューマー機並のゲームが 出てこないのか」 ということでありその理由であろう事象の一つを提示してみた ということです。

追記

掲示板の方の話の流れを見ていない人のために、 ごう氏の「工房」という単語が出てきた経緯を補足説明します。
私が第二回コラムにからめて、プログラムは直接ユーザーに評価されず その動作結果が評価の対象となるのに対し絵は直接そのものが評価される、 と書きました。プログラムはある程度型があり誰が作っても同じような 物だけれども、絵はそうではないといった点の強調からです。
それに対し、ごう氏が補足で確かにゲームの絵的評価は原画マンに対して 行なわれるが実際の製作はグラフィッカー(塗師)が大量に投与され、 そういった作業的な部分においては原画によらない作業となると書かれました。 そこからオープンソースにおける作業人員規模の話になっていったのでした。


Dec.10.2000 れろれろ@ふみ(K.Kunikane)